私シロウミは末期の変形性股関節症を患っておりましたが、2021年12月に人工股関節置換手術を受けました。50代前半での手術でした。
この記事では変形性股関節症の初期(青年期)から末期(更年期)までの変遷を振り返ってみたいと思います。
この記事は、
- ご自身も変形性股関節症を患っておられて今後のことが気になっている方
- ゆくゆくは人工股関節置換手術を考えている方
- 今股関節が痛いけれども、変形の具合として自分はどれぐらいなんだろうと思っている方
- 変形性股関節を患っているけど、今はどんな風に過ごしたらベストなのかいろいろ検討している方
に向けて書きました。何かしらご参考になりましたら嬉しいです。
変形性股関節症とはどんな病気?
変形性股関節症については医学的な内容になりますので、引用で紹介します。
股関節は大腿骨の丸い骨頭(ボール)が骨盤側の寛骨臼(ソケット)に組み合わさり、両方の骨の端は軟骨とよばれる非常になめらかな組織で覆われ、体重を支えたりなめらかな股関節の動きができるように重要な役目を果たしています。
変形性股関節症は、関節軟骨が変性し、すり減りを起こすことにより、関節に炎症反応がひきおこされ、痛みや骨頭・寛骨臼の変形をきたすようになります。股関節の障害をひきおこす病気として頻度が最も高いのが、変形性股関節症です。
原因として、寛骨臼形成不全(または臼蓋形成不全)とよばれる骨頭に対する寛骨臼がカバーする範囲が狭く、体重を支えるのに不利な股関節の形状を持たれている方が、ある年齢以降に症状がでてくる割合が高いとされます(図3)。女性に頻度が高く、股関節の痛みが出現するのは40-50歳代が多いとされますが、寛骨臼形成不全の程度が強い方は20歳代以下でも出現することがあります。
引用元:大阪急性期・総合医療センター・人工関節センター「股関節の病気と治療、人工股関節手術」のページより
変形性股関節症の初期(青年期)の状態は?
高校生活終わりの頃に変形性股関節症の予兆がありましたが、大学生活の間はほとんど変化は無く、痛みなどもありませんでした。
原因として、
- もともと嫌いだった運動をあまりしなくてもすむようになったので、股関節の変化にあまり気がつかなかった
- 大学近くで下宿生活をしていたので、体力的にムリなことはしないで済んだ
などがあげられますね。7cmのヒールも平気で履けていました。
20代後半から跛行気味になる
大学を卒業後は医療機器メーカーにて取扱説明書を作成する業務についていました。
基本的にデスクワークですが、残業は多めで取扱説明書がいっぱいにつまったダンボール箱を持ち上げることもしばしばありました。
本がぎっしりつまったダンボール、重いですよね。学生時代よりは体力を使っていたと思います。
そんなある日、通勤途中に同僚から声をかけられます。
シロウミさん、足、どうしたの?
どうしたって、何が?
右足なんか軽くひきずってるよね
え!、そう!?…、え〜と、生まれつきかな…?
…そうなんだ、…お大事にね
とまあこんな感じで、 本人は足を引きずっている自覚はほとんどありませんでした。
思い返してみればこの頃は、右足がときどきつったようになって歩けなくなることがありました。
変形が少しずつ進み始めていたのでしょう。
変形初期に総合病院で自骨の手術(骨切り術)を勧められるが断った
念のため近所の総合病院整形外科に診てもらったところ、やはり進行性の変形性股関節症でした。
レントゲンの写真を見ると、ほとんど平らといってもいいような臼蓋に大腿骨の骨頭がかろうじて引っかかっているように見えました。
病院では骨切り術という、自分の骨を生かす手術を勧められました。
骨盤を横に切り位置をずらして大腿骨の骨頭がおさまるようにするという大がかりな手術で、これは「キアリ骨盤骨切り術」という術式に該当すると思います。
骨切り術を受けなかった理由
当時、私が骨切り術を受けなかったのは以下の理由によります。
- 骨盤を横に切ってしまうというのがかなり怖かった
- 周りの人にあまり勧められなかった
- 整体に通い始めていた
- 当時、インターネット上にも骨切り術の予後が良いと言う書き込みをあまり見つけられなかった
- 入院期間が長すぎた(1〜2ヶ月)
- 将来子供を生むときは帝王切開になると言われた(キアリ骨盤骨切り術後は骨盤内が狭くなる)
これはおよそ25年前の話なのですが、今もし変形初期で骨切り術を受けられるんだとして、骨盤を少しえぐるだけの「寛骨臼回転骨切り術」などといった術式を勧められたとしたら、もしかしたら手術を受けるかもしれないです。
面倒を見る家族もいない気楽な独身時代だったら、 仕事との兼ね合いさえ大丈夫であれば2ヶ月ぐらい入院しても何ら差し支えありません。
女性の場合は小さい子どもがいるとか介護があるとかだとなかなか手術に踏み切れなくなってしまうので、変形初期で世話する人もいない時期と言うのは自骨を生かす手術をする最後のチャンスかもしれませんね。
いずれにせよ、高校生のときに昔の整形外科の先生から言われた「35歳前に手術」というのがこの時期に該当するのではないかと思っています。
変形性股関節症の進行期に妊娠・出産・子育てをする
その後は結婚し、整体に通って股関節の痛みを回避しながら30代半ばでの出産、そして子育てに励みますが、その間に股関節の変形はどんどん進みます。
妊娠・出産による変形性股関節症へのダメージは?
妊娠中は約10kg増加しました。
股関節の痛みはさほどでも無かったです。
また出産は、子どもが37週で早めに生まれたので小さく、スムーズに自然分娩ができました。
しかし、出産後はそれまであまりはっきりとしなかった跛行がかなり目立つようになりました。
胎児などの重さに耐え、また出産時は股関節周りが柔らかくなって大きく動きますから、やはり出産は相当なダメージだったのだなと思います。
子育て中に股関節の変形が進む
子どもを抱っこしておんぶして、たまにはベビーカーごと持ち上げて…。
一緒に公園で遊んだり運動会にも出たり、子育てに夢中で取り組んでいるときはお母さんは自分のことにはほとんどかまってられませんよね。
そんな中、股関節の変形はどんどん進んでいきました。
なんか歩きづらいなあ、と思っているうちに右側の大腿骨はだんだん上にずれていき、最終的に右足は3cmほど短くなりました。
また可動域も狭くなり、膝を伸ばした状態で開脚しても90度も開きません。
そのうち歩くたびに右肩が上下して、まるで「上半身で右足を運んでいる」というような歩き方になってきました。
杖が必要になり、階段も手すりにつかまらないと上り下りできなくなりました。
右足には力が入らないのでどんどん筋肉が無くなり、もともと細かった足はさらに細く、お尻も筋肉が痩せてペタンコに…。
少し動くだけで身体全体が疲れるようになってきました。
変形性股関節症の末期(更年期)に清掃のパートでダメ押しするが…
股関節の変形がひどくなりつつあった中で、経済的な必要にせまられて清掃など軽作業のパートを始めることになりました。
どうして清掃だったのかというと、「同じ場所に立ちっぱなしの仕事は無理」というのが念頭にありました。
「立ちっぱなし」というと、スーパーのレジとか、ドラッグストアの店員さんとかですね。
この頃は同じ姿勢で10分間立ち続けることが困難になっていました。
仕事場所は介護施設だったので手すりにつかまって作業できたのはありがたかったのですが、かなり頻繁に立ったりしゃがんだりを繰り返しました。
これも股関節には負担でしたし、やはり身体全体が疲れました。
身体を動かす仕事が少しでも筋トレになったらいいかなぁ、と期待していたのですが、まったく逆効果でした。
「どこまで悪くなるんだろう。いつかは手術を受けたいけれど、いつまでもつかなぁ…。」
と、不安の日々が続きました。
パート仲間から鎌倉にある人工股関節センターでの手術を勧めてもらう
そんなある日のこと、パート仲間のおばさまから人工関節の手術を勧められました。
「鎌倉にある人工関節センター」っていう有名な病院は知ってる?犬の散歩友達もそこで手術受けてね、もう今はスタスタ歩いているわよ。
へ〜、手術受ける前はどんなだったんですか?
ヨタヨタしてて、歩くのがやっと、っていう感じだったわよ。
シロウミさんも一度行ってみたらいいんじゃない。
手術はまだ先だと思ってたけど、一度行ってみてもいいかな…。
というワケで、とりあえず診察だけでもという気軽なノリで受診してみることにしました。
整体だけでなく、変形性股関節症の保存療法を受けるべきだったかも
今振り返ってみると…、この時期はやはり
ちゃんと病院に通って『保存療法』を受けるべきだったかなぁ
と思うんですね。
ずっと整体で痛みを回避してそれでやり過ごせてしまったし、身体のゆがみを微調整して痛みが無いように整えてくださった整体の先生達には感謝でした。
しかし、ずれてしまった股関節そのものは、整体では元の位置に戻せないんですよね。
そして手術後の今になって実感するのは
臀部(つまりお尻)の筋肉の無さ
です。
股関節の変形とともに、私は臀部の筋肉を使わずに太もも前部分の筋肉を使って歩くようになっていました。
お尻はどんどんやせていき、逆に太もも前部分はいつも張ってしまって疲れていました。
臀部の筋肉は体操などで半強制的にでも作っておいた方が、もしかしたら人工股関節置換手術の時期をもう少し遅くできたかもしれないですし、人工股関節に替えてもその後の回復がスムーズなのではないかな〜と…。
人工股関節置換手術後の今、お尻の痛みに耐えながらヒトは臀部で歩くのだなと実感している次第です。