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先天性股関節脱臼の体験談|乳児期〜高校生の時期について振り返る

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私シロウミは末期の変形性股関節症をわずらっておりましたが、2021年12月に人工股関節置換手術を受けました。
年齢的には多少若い(50代前半)ですが、ちょうど良い時期に受けられて良かったなと思っております。

この記事ではその手術に至るまでの、まず、先天性股関節脱臼をわずらっていた赤ちゃんのときから高校生の頃までを振り返ってみたいと思います。

この記事は、

  • 私と同じく先天性股関節脱臼をわずらった方
  • 子どもさんが先天性股関節脱臼で、今後の経過について知りたいと思っている方
  • 変形性股関節症をわずらっている方
  • 人工股関節置換手術に至るまでのいきさつについて情報を得たいと思っている方

に向けて書きました。この記事が何かしらのご参考になりましたら嬉しいです。

先天性股関節脱臼とはどんな病気?

先天性股関節脱臼については医学的な内容になりますので、引用で紹介します。

股関節は大腿骨頭(大腿骨の球形をした先端)が、骨盤の臼蓋というボールをうけるカップをひっくりかえした屋根のような骨にはまりこんでいる関節です。股関節が生まれつき緩かったり、臼蓋形成不全といって、臼蓋の屋根の形状が不完全な場合に大腿骨頭が臼蓋からはずれた状態になります。近年、コアラだっこのような赤ちゃんの股関節を開いて足を自由に動かせるような保育方法の啓蒙が行われ、股関節を脱臼する割合が、100人に2~3人だったのが、1000人に1~3人と激減しました。母やきょうだいに先天性股関節脱臼の人がいる場合は発生率が少し高くなります。

出典:神奈川県立こども医療センター 整形外科「先天性股関節脱臼」のページより

自分の先天性股関節脱臼の原因を考える

私シロウミが誕生しましたのは1970年より以前になります。日本は高度成長期で急速に発展していたものの、庶民の暮らしはまだまだつつましかった頃です。

母親から聞いた話などから、私の場合は以下のような事柄が先天性股関節脱臼の原因になったのだろうなあと推測しています。

  1. 生まれつき臼蓋形成不全気味だった親戚にも先天性の股関節疾患が多い
  2. 布おむつ・おくるみ(冬生まれだった)で、両足をまっすぐに伸ばした状態でぐるぐる巻きにされていた
  3. 多少、栄養不良気味だった

③についての補足説明ですが、母親から「生後一ヶ月後検診で、なぜか出生時よりも体重が減少していた」との話を聞いたことがあります。

先天性股関節脱臼と診断されてから一旦完治するまで

私は生後4ヶ月で先天性股関節脱臼と診断され入院などを経て、2歳4ヶ月でとりあえず歩行ができまた骨もできて一旦完治となりました。

その診断から完治までの流れを以下にまとめます。

  • 0歳4ヶ月:検診時に右足の脱臼を指摘される。整形外科にてリーメン・ビューゲル*を装着開始
  • 0歳10ヶ月:股関節が整復(正しい位置に収まること)されておらず、ギブスの装着開始
  • 1歳1ヶ月〜3ヶ月:整形外科に入院して牽引治療**を受ける。退院後は再度ギブス装着
  • 1歳7ヶ月:ギブスが外れて再度リーメン・ビューゲルを装着
  • 1歳10ヶ月:リーメン・ビューゲルをときどき外せるようになった
  • 2歳0ヶ月:リーメン・ビューゲル装着が夜だけになる。始めてつかまり立ちができた
  • 2歳2ヶ月:リーメン・ビューゲルを使用終了。歩行器で歩く練習を始める
  • 2歳3ヶ月:始めてのひとり立ち。数歩歩けた
  • 2歳4ヶ月:整形外科にて、臼蓋が形成されているのを確認

*リーメン・ビューゲル:股関節を正しい位置に固定するバンドのような固定具
**:牽引治療:股関節を正しい位置に整復するために、重りを付けてひっぱる治療法
→→→参考:神奈川県立こども医療センター 整形外科「先天性股関節脱臼」のページ

なかなかに難治性だったようで、転院を重ねるなどして両親は苦労したようでした。

しかし手術などはせずに、とりあえず2歳4ヶ月で完治しました。
その後しばらくは整形外科に通うこともありませんでした。

余談ですが、大人になってから病院に行ったときに病院独特のアルコールの匂いをかぐと、何だかなつかしい気持ちになることがあります。
赤ちゃんのときに入院していたと後から知って合点がいきました。
もちろん、本人には入院していた記憶はまったく残っていません。

またもちろん、立てなかったり歩けなかったりしてつらかったというような記憶もまったく無し。
そうですね、歩行器にまたがってすべるように歩いて楽しかったという思い出は、うっすらと残っています。

股関節は安定していたけど運動は苦手だった小学生〜高校生時代

小学生から高校生の間は股関節の状態は比較的安定しており、股関節の痛みはまったくありませんでした。

しかし、先天性股関節脱臼の影響は少なからずあって、 日常生活には以下のような形で現れていました。

  • 脱臼をしていた右足は左足に較べてひと回り細かった。水着着用時の写真などを見ると顕著
  • 股関節は左右とも固くあぐらはかけなかった。体操は大の苦手だった
  • 右足を上にするナナメ座りがラクだった
  • 立っている時も左足に重心をかけて右足をちょっと前に出すポーズがラクだった。無意識だったので、注意されても直らず
  • 走るのは遅く体育の成績はずっとアヒルだった

短距離走は苦手で運動会のたびにビリのオンパレードでしたが、長距離走ではクラスで中間くらいの成績でした。
持久力はあったのでしょう。

高校3年生のときに股関節がずれるー変形性股関節症の始まり

高3の春に突然歩行困難になる

高校2年生から3年生の間の春休み、部活(演劇部)で体育館を走り回っていたときに、突然右足の股関節に鋭い痛みが走りました。

それ以降は足に力が入らず、歩けなくなりました
しばらく休んでも回復しなかったのですが、友人の肩を借りるなりしてその日はなんとか家に帰り着きました。

今思えばあれは変形性股関節症の始まりだったのではと思っています。

正常の人に比べると右側股関節の臼蓋はやはり浅かった、それでまだうすら寒い春先の体育館で走って股関節に負担がかかり、大腿骨頭が上方にずれてしまった。
筋肉などそのズレに対応できずに、数日間歩けなかったものと思われます。

もちろん、先天性股関節脱臼をわずらった赤ちゃんがみな変形性股関節症に移行するワケではないと思います。
私の場合はやはり先天的および遺伝的に臼蓋が浅く、子供時代も十分に成長できなかったものと思われます。

整形外科にて診断される

その数日後に、母親と一緒に乳児のときに入院した整形外科に行き、診ていただきました。
私は病名は聞きませんでしたが、お医者様からは今後は以下の2点について注意するように言い渡されました。

  • 35歳前には何らかの手術が必要になること
  • 体重は52.5kg以上は増やさないこと

52.5kgというのは当時の体重です。身長は159cmぐらいで決して太っている方ではありませんでした
このときに言われた体重制限は、その後今に至るまで割としっかり守ることができています。

ただ、大学の寮に入って食べることしか楽しみが無かった時期は、プラス7kg太りましたがその後運良く(?)失恋して、元の体重に戻りました…。

しかし基本的に一病息災で、体重に気をつけることによって健康が守られたということもあるのではないかと自負しております。

母親は落ち込んでいたかもしれませんが、私は「なるほど」という感じでそんなに悲観的にはなりませんでした。